自分ごと
【自分ごと】
2016年4月に「障害者差別解消法」が施行された。
不当な差別を禁止し、役所や事業者に合理的配慮をするよう義務付けたという。
合理的配慮とは何ぞや?
障害者から何らかの助けを求める意思の表明があった場合、過度な負担になり過ぎない範囲で、社会的障壁を取り除くために必要な便宜のことである。(Wikipedia)
障害のある人が障害のない人と平等に人権を享受し行使できるよう、一人ひとりの特徴や場面に応じて発生する障害・困難さを取り除くための、個別の調整や変更のこと。(LITALICO)
ざっくりまとめると「障害のある方もない方も共に個性を認め合い助け合っていこう」ということであろうか。
これを、良い取り組みだと捉えるか、わざわざ「法」で定めなくてはできないことなのか?と甚だ疑問に思うのか、二分化されるように思う。
国が補助金を出して導入を進めているUDタクシー(ユニバーサルタクシー)は実に27%(120件中32件)の乗車拒否という嘆かわしい数字が叩き出されており、
さらには、盲導犬ユーザーの60%(211人中123人)が入店拒否の経験があるという。
骨折している人は乗車できるのに、車椅子ユーザーはタクシーに乗せてもらえないの?
メガネをかけている人は普通に入店できるのに、盲導犬ユーザーを拒否するのはなぜ?
そんな疑問が湧いてくる。
足が不自由ゆえに自分で運転することが難しいから誰かの力が必要であるし、
視力が不自由でも、美味しいものを食べる権利があるし、買い物を楽しみたいという気持ちがあってもいい。
できる「誰か」がサポートすればいいだけのことだ。
そして、その「誰か」は自分であってもいい。いや、むしろ積極的にその「誰か」としてサポートをさせてもらった方がいい。
なぜなら、近い未来に「自分自身」がまたは「自身の大切な人」が全盲になり車椅子での生活を送ることになる可能性だってあるからである。
今日までは「他人ごと」だったことが明日は「自分ごと」になる可能性があるということだ。
乗車拒否、入店拒否をする心理の底には「他人ごと」という考えが潜んでいる。
だが、明日のことは誰にもわからない。
世間から「障害がある」とされる立場になるということは、誰にとっても身近な「自分ごと」であるのだ。
「自分だったらどうしてもらったら助かるだろう?」「自身の大切な人がどうしてもらったら嬉しいだろう?」そんなことを想像できる人が多く住まう国であったなら「法」で縛られなくても、そこには暖かな思いやりや愛が存在するようになる。
昨今、土曜日の授業が削られたことにより詰め込み型の教育へとなった感が否めない。
その中で、何にどれだけの時間を割り当てるのかは今後の世の中を決めていくように思う。
算数や国語も大切だけど「人としてどうあるか」を幼少期に学ぶことはもっと大切なのではないだろうか。
教育の現場において「形」や「決まりごと」を学ばせるだけではなく「心の動き」や「人の痛み」を理解できる人を育てるような取り組みを期待すると共に、自身もそれらを伝え導けるような人でありたいと思う。
2020/1/20(mon)
An impression and the short essay that I read Ryukyu newspaper
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